徒然なるままに、日暮らし、パソに向かひて、心にうつりゆく由なきネタを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ(何)

アンチとしての心得(2本立て)

No: 791
投稿者:管理人 04/10/16 Sat 14:12:37

「人は安易に何かを批判することは出来ない。何かを批判するためには、自分も相応の批判を受ける覚悟が必要になる。批評における等価交換の法則だ。」
これ、ぼくの持論(何)
批判的な文章を書く時には常に自らが批判されることを覚悟した上で、もし批判されても論理的に反論できるようしっかりとした理由が存在し、反論してきた相手を論破できるだけの自信を持った、「確固たる批判意見」しかこの日記とかそういう不特定多数の目に触れる場所には書かない、ということはいつも心がけています。
そして、そういう覚悟が伴わないような批判は、ネットという場所には書くべきでない、ってのも。
なので、逆に言えばしっかり文にしてこの日記なりどこぞの掲示板なりに書いたような意見は、他人からちょっとやそっと批判されたぐらいで変えるつもりは毛頭ありません。
まぁもちろん、反論してくる方も「これこれこういう理由でこうだから私はこう思う」としっかりと理由付けをしている筋の通った、「おお。これはそういう見方も出来るな」と納得できるような意見をぶつけてくれば、その時は素直に考えを改めまる場合もありますが。これをしないとただの聞く耳持たない頑固者ですからね。


てか、よく掲示板などで批判的な書き込みしている人に対して、管理者でもないのに「気に入っている人もいるんだからそういうことは書かないでください」とか「なんでそんなこというんですか!」といった具合に、自分と意見の違う人を排除しようとしたがる人が居ますが、正直こういう人たちは何を目的にそういう書き込みをするのかが全く理解できません。
3年半近くサイト運営してて自サイト内でも何度もそういう場面に遭遇しましたし、他人のサイトでも何度も見かけましたが、その度に不思議でなりません。
そういう書き込みをすれば批判的なことを言っている人が「改心」するとでも思っているんでしょうか・・・・
しかし実際はそういった書き込みにそれだけの力はなく、ただ単に場の雰囲気を悪化させているだけだと思うんですが。

本当にアンチを改心させたいのなら、反論する側も同じようにしっかりとした理由に基づいて反論しないと、全くもって無意味ですね。
なぜなら大方のアンチは「嫌い」であることに明確な理由を持っているから。
ほら。よく言うじゃないですか。「『好き』に理由はないけど『嫌い』にはある」って。理由も無しに嫌うなんてそうある事じゃないですから。
アンチを改心させるにはその「嫌いな理由」に対して「あなたはそう考えるかもしれないけど、これこれこういう見方も出来るんじゃない?」みたく、反論する側もしっかり理由を付けて相手を納得させられるような文章を書かないといけないと思います。
そしてもちろん、その反論に対してまた言い返されて「議論」になるという可能性がある以上、しっかりその「議論」を続行できるように下地がしっかりしている意見である必要があります。というかまぁ、相手を納得させられるような文章ってのは自分の意見の下地がしっかりしていないと書けないと思うので、そういう文章ならば、必然的に反論されても困りはしないんですが。
そういう「反論されてもしっかり言い返せる文章」、即ち「批評における等価交換の法則を満たした文章」ってのはちゃんとした「意見」だから、口調が喧嘩腰とかでもない限り、その掲示板なり何なりと言った場の雰囲気が急激に悪くなるということはあまりないと思います。
しかし、等価交換を満たさない文章、すなわち「気に入っている人も居るんだから~」系の自分の「意見」を述べず相手をただ叩くだけの書き込みは、どんなに口調が丁寧であっても一挙に場が悪くなると思います。こういう文章は「批判」というよりは「誹謗中傷」に近いですからね。
だから、もし自分が書いたその「アンチに対する批判文」それ自体が批判の対象になりうるという覚悟を持たず、「臭い物に蓋」思考というか、気にくわないからって感情にまかせて書いただけ、というような文章は書くべきではないと思います。
掲示板とか言うのは公共の場ですからね。
反論したいならちゃんと覚悟を決めて反論するべきだとぼくは考えてます。


というか、こういう人たちはなんでアンチな文章読んでも「ふーん。そう思う人も居るんだ。でも私は好きだ」と思ってスルーできるだけの心の広さがないんでしょうか(何)
ぼくもそりゃー、自分の好きな作品がけなされてたら、もちろんあまりいい気分はしませんけど、その場の勢いで「そんなこと言うな」とか書き込みをせずにいられないなんてことはありませんねぇ。
もちろん、理由を書かないで「こんなのはクソだ。」と書いているような輩は見ててムッとしますが、そんな奴は無視が一番。
逆に、しっかり筋の通ったアンチの意見ってのはむしろ興味深いです。「へぇ~~~、そういう捉え方もできるのか~」と感心させられることもあるぐらい。
でも、そういうのを見たからって自分がその作品を楽しめなくなるわけでもないし、ましてや嫌いになるわけでもない。
「そう思う人はいるけど、それでもぼくは好きだな。」
その一言で終わりでいいでしょう。

もちろん、たとえば個人サイトの掲示板で他の人はみんな賛成派なのになじみのない人が突然現れて一人だけ反対意見唱えてるとかだったら、そのアンチの方にも「少し場を考えようよ」と言ってあげたくもなりますが、そうでもないかぎり自分と意見が違うからって排除しようとするのはそれはただの傲慢だと思います。
ネットの掲示板などでこういう問題が起こった場合、そういう意見を排除するかどうか決めていいのは管理者だけでしょう。

なんでこんな事を書くに到ったかと言えば、この間ハガレンサイト掲示板で第三者視点とは言え似たなこと書いた矢先に、今度はぼくの↓の最終話感想に対する批判的な感想をもらったからです。なぜか裏掲示板で(何)
ハガレンアニメに関しては、アニメ誌で監督自ら言っているとおり「かなり賛否両論」だし、そもそも全国ネットで視聴者の絶対数がむちゃくちゃ多いから、こういった意見の相違による衝突がそこらのアニメとは比べ物にならない頻度で起こってるようで、この1年何度もそんな場面を見ました。自分がかなりアンチ側にいるからってのもあるでしょうが。
で、その多くが今まで書いてきたように「筋の通った批判『意見』」に対して「謂われのない『誹謗』」をあびせかけているというパターン。
もちろん鋼以外でもこういうことは過去にも何度もありましたが、最近あまりの頻度な上についに自分の所にも複数ふりかかってきてしまったから、いい機会だし前々からずーっと思ってきたことを書かせてもらいました。

下へ続きます。


この記事にリンク:http://tianlang.s35.xrea.com/diary/diary.cgi?mode=single&number=791




昨日: 今日: